暴れ者だった団塊の世代も今は・・・ 

告白者: 幸平 59歳 会社役員

「私は1948年、昭和23年生まれの典型的な団塊の世代です。

私の場合は運良く、私の一族の経営する同族会社の経営陣の一角に入って
いますので、60歳で定年ということはなく、このまま取締役であと数年は社に
いれそうです。

今の若い世代は少子化で大学全入と言われていますが、私たちのような戦後
のベビーブーマーは、1学年に十数クラスもあり、すさまじい競争にさらされた
世代で受験の時は有名大学の倍率は数十倍でした。
『受験地獄』と言われ始めていた頃の世代です。

その頃から大学受験に失敗すれば浪人するのは当たり前で、私も代々木
ゼミナールに通ったクチです。

時代はベトナム戦争が泥沼化し、米国では反戦運動が盛んになり、この日本
でも学園紛争真っ盛りで予備校の中にも『全共闘』(全学共闘会議)が結成され、
デモに参加する者もいました。

私は何とか、1968年(昭和43年)の4月に難関を突破して大学に入学。

入学試験当日は正門でヘルメット姿のセクトの活動家がずらっと並び、マイクで
独特の口調でアジっていて、すぐそばで機動隊も待機していて、とても物々しい
ものでした。

その年から翌年にかけて学生運動もピークで、全国の大学でストが敢行され、
日大全共闘、東大全共闘は全国にその名を馳せたものです。

私は自分の大学でヘゲモニー(覇権)を握っている、ある反代々木系、つまり、
新左翼系セクトのシンパとなり、いっぱしの活動家を気取っていました。

大学の勉強はほとんどせず、下宿ではマルクスやレーニン、吉本隆明、埴谷雄高
の本や朝日ジャーナル、少年マガジンばかり読んでいました。
私も『あしたのジョー』の熱狂的ファンでした。

学内にいる時は、いつもセクトのヘルメットを被り、顔にはタオルを巻き、サングラス
姿で闊歩し、集会やデモの時はタルキ(角材)や旗竿、打ち砕いた縁石の石などで
武装。

学生大会では対立セクトに罵声を浴びせながら、ありあまるエネルギーを発散
させていました。

その1968年の10月21日、つまり10.21の国際反戦デーには新宿で大規模な
デモで暴れ、騒乱罪が適用されました。

私も新宿のデモ隊の中にいました。

同日、中央大に集結し、出発したブントは丸太をかついで防衛庁に突入。

全都的に学生、労働者が暴れまわった1日でした。

私も機動隊の激しい催涙ガス攻撃や放水を浴びながらも、闘いました。

そして三里塚闘争、東大闘争にも参加。

翌年、1969年には、東大全共闘は敗北しましたが、東大の入試を中止に
追い込みました。

その後、学内で対立セクトや日共系との激しいヘゲモニー闘争が激化。

しかし、1970年に入ると、権力との闘争も表向きは終焉し、シラケという言葉
がはやったものです。

それからはセクト間の内ゲバも激化しました。

私が活動していた4年間は大学は学生によるストライキか、大学当局による
ロックアウトで、まともに授業を受けたことはあまりなく、そのまま、卒業を
迎えてしまいました。

私のように学生運動に身を投じた大半の者は既成の権威や権力にはノン
と言い続けたい反骨精神の旺盛な者ばかりで、特に私のような人間は
普通のサラリーマンは絶対に不向きだと思っていました。

私の世代は長髪で汚いジーンズ姿が主流で、モラルというものはまったくなく、
マナーも悪く、当時の大人たちからは、二言めには『今の若いやつらは・・・!』
とあきれられていたものです。

私と同年代に俳優の故、松田優作氏がいますが、(1949年生まれ)、
彼が『太陽にほえろ!』でジーパン刑事として登場した時は心から応援した
ものです。

今は彼の息子の松田龍平クンと松田翔太クンが活躍していますが龍平クンの
方には父の面影を見ることができます。

さて、そんな私ですが、卒業前に父親が他界。

卒業が迫っていても卒業後の身の振り方を決めていなかった私はわざと留年
して大学に残ろうと思っていましたが、そうもいかなくなりました。

そんな私に父の兄、つまり私の伯父が経営している会社に就職するよう強く
すすめられました。

伯父には子供がなく、小さい頃から私を自分の子供のようにかわいがってくれて
いたのです。

とは言っても、大学でもほとんど勉強などしていないわけですし、会社組織の
ことや、会社の仕事などまったくわからず、自信などはありませんでした。

資本主義を否定していた自分に反して資本主義の真っ只中に身を置くことに
苦痛も覚えたわけです。

そして1972年4月、私は伯父の会社に入社し、サラリーマン生活が始まりました。

社員数は1,500人程度の中堅企業で、当時はまだ株式は公開してなく、未上場
でした。

長髪を短く切り、きれいに分けてスーツスタイルになった時、何とも言えない
敗北感を感じたものです。

伯父は社長でしたが、私の縁故採用のこと、一族であるということも社内では極秘
でしたから、直属の上司からは、随分、いじめられ、しごかれたものです。

『最近の若いやつは使えない』というのが口癖でした。

その後、28歳の時に大学時代の同級生と結婚し、息子ができたのを期に、この仕事
でかんばる決意をしました。

小市民的になってしまった自分自身に自己嫌悪を感じていた時期もありましたが、
結婚後はそんなことも考えなくなりました。

そんな私も入社15年目の38歳の時には営業の課で課長に昇格し、46歳の時に
部長になりました。

仕事も波に乗り、仕切る立場となると精神的に余裕と自信が出てくるのか、
40歳の時には、14歳年下の部下の女性と2年間に渡る不倫を経験。

それ以降は不倫はありませんが、年齢を経るごとに、妻以外の女性とは縁遠く
なってきました。

バブル期の新人女性はとにかく派手で、言うことを聞かず、とても扱いにくかった
ものです。

ここ数年は不景気で採用も手控えていたのですが、昨年あたりから、また新人を
たくさん採用しています。

まったく世代も価値観も異なるわけで、私たち役員の秘書として働いてもらって
いる女性の扱いにも、とても気を遣っています。

ただ、私が学生の頃の同世代の女の子たちの、生意気でマナーもクソもなかった
コたちから比べれば、淑女ですかね(笑)。

実は私の妻も活動家だったのですが、彼女があの当時、よく吐いてた『あんたさぁー
なに日和ってんだよ!しっかりやんなよ!ゲバだよ、ゲバ!』というセリフを今でも
よく思いだします。」


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